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ほんと気になるニュースってたえませんよね

飯田丸五階櫓が崩落寸前!熊本城など熊本重要文化財の被害状況は?

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4月14日の夜間に発生したM7の地震は前震に過ぎなかった、というニュースを見ました。このブログでは熊本で起こった地震の余震収束見通しについて買ったった記事なども書いていまして、これから熊本はどのように復興していくのかという前向きな展望を期待していたんですが、16日に観測されたM7.3の地震がどうやら本震らしいです。

また、他2か所でも同時に地震が発生していることも判明。残念ながら熊本や九州各地の地震によるの被害報告はまだまだ続きそうです。

headlines.yahoo.co.jp

人的な被害もさることながら、熊本県のシンボル的存在と言える熊本城も被害にあっているようです。熊本城と言えば2014年に第二期復元計画の一部である馬具櫓および続塀(ばぐやぐらおよびつづきへい)の復元が完了したばかりだったんですが、今回の地震で、飯田丸五階櫓が崩落寸前の大ピンチ。

 建物をしたから支えている石垣がぽっかり崩れ落ちている状況で。ピンチというかなぜ崩落しないのかが逆に疑問。微妙なバランスで奇跡的に形を保っているんでしょうか?まさにジェンカ状態。

飯田丸五階櫓がジェンガ状態でかろうじて維持出来ている理由

飯田丸五階櫓とは

特に城フリークではない私。飯田丸とか五階櫓とか何のことかぴんと来ませんでした。ということで、飯田丸五階櫓とはなんぞやという説明から。ちなみに引用多めです。
飯田丸とは
熊本城の中には、天守閣と宇土櫓を除くエリアは〇〇丸といった名前で分けられています。飯田丸は天守閣エリアの南にある数寄屋丸のさらに南に位置するエリア。http://www.manyou-kumamoto.jp/users/images/051205113236_S3950260.jpg
櫓とは
櫓(やぐら)とは、城郭内に防御や物見のために建てられた仮設または常設の建築物である。
五階櫓とは

 その名のとおり五階建ての櫓。江戸時代から幕末にかけての城だと二階建て櫓が一般的だっとようなので、五階櫓は相当デカいと言えます。

 

ここからようやく飯田丸五階櫓のご紹介。

飯田丸の南西隅に建つ五階建ての櫓が「飯田丸五階櫓」です。飯田丸の名称は加藤清正(かとうきよまさ)の重臣、飯田覚兵衛(いいだかくべえ)が管理していたことから、こう呼ばれるようになりました。熊本城南面防衛の要であり、櫓と塀で囲い込まれ、内部には井戸や台所、鉄砲蔵までも設けられています。西面には西櫓門を備え、出撃することも可能です。つまり飯田丸だけでも小さな城の機能を持っているのです。その小さなお城の天守閣の役目を果たすのが飯田丸五階櫓だったのです。

飯田丸五階櫓 - 【熊本城公式ホームページ】

熊本城城内には櫓は第1期復元計画で2005年3月に修復が完了。で、また崩落のピンチに。熊本城が築城された明応5年(1496年)には五階櫓が6基あったと言われており、平成10年にスタートした熊本城復元計画当初は、すでに一つも残存していない状況。
2005年の飯田丸五階櫓の復元を皮切りに存在したはずの竹の丸、数寄屋丸、御裏、3つの五階櫓の復元が予定されています。

改めて飯田丸五階櫓状況を見てみると

 

厳密に言えば五階櫓は崩落していなくて飯田丸の石垣の内、五階櫓の下部のみが崩れ落ちている、ということなんですが、これ奇跡のバランスで残っているわけではないです。飯田丸の石垣も過去、復元されていてこちらは鉄筋コンクリートが土台となっていると思われ、鉄筋の恩恵を受けて維持できている、と考えて方がよさそうです。そう考えると石垣自体の崩落はなんとか免れそうです。

ただ、つぶやきにも書かれているように櫓自体の修復は木造建築で行わており、今後の雨によって床面が腐れ落ちていく可能性が怖いですね。なんとかそれまでに修復を試みてほしいですが、まずは人優先と思いますし、一体いつになるのか・・・

 当たり前と言えばあたりまえですが、熊本城の被害は飯田丸五階櫓だけにとどまっていません。天守閣の屋根がはがれたり、しゃちほこが行方不明になってたり、東十八間櫓が完全崩壊してたり修復には数十年単位の時間がかかりそうです。GWでの観光とかは無理だと思われます。

八千代座、阿蘇神社など、他の重要文化財の被害は?

 熊本県には重要文化財に指定されている建物が多く存在しますがそちらの被害状況も気になる、いうことで熊本城以外の重要文化財の被害状況も合わせて紹介しておきます。今のところ阿蘇神社の崩落以外には文化財の損壊報告は無いようです。
□八千代座

 □阿蘇神社