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ほんと気になるニュースってたえませんよね

えっ前科有るの?なぜ三遊亭小遊三師匠は泥棒と呼ばれるのか

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笑点大喜利のコーナーでイケメン落語家の三遊亭小遊三師匠が犯罪者扱いされるもしくは自分から悪人ぽく振る舞うシーンをたまに見かけますよね?前科者とか、泥棒とか。
もちろん、小遊三師匠は落語芸術協会副会長に就任してたり、見かけによらず(失礼)品行方正な落語家なので、逮捕、検挙といったことは一度もありません。
小遊三師匠といえば下ネタや俺いい男だろ(自称)ネタが定番なんですが、この前科ネタも多いに笑わせてくれるネタですが前科者扱いをされるようになった理由を知らないとちょっと笑えませんし、「もしかして本当に前科があるの?」とか心配している笑点ファンも結構いそう。泥棒ファンの私からすると理由を知らないが為に笑えないのはなんともお気の毒。
ということで今回の記事では、三遊亭小遊三師匠がなぜ泥棒、前科者と呼ばれるようになったのか理由についてまとめました。

ネタ元は昭和56年に起きた「深川通り魔事件」

昭和56年(1981年)に起きた「深川通り魔事件」が小遊三師匠の犯罪者ネタの原点であると言われています。
深川通り魔殺人事件(ふかがわとおりまさつじんじけん)とは、1981年(昭和56年)6月17日午前11時35分頃、東京都江東区森下二丁目の商店街の路上において発生した無差別殺人事件。引用元:wikipedia
かなりショッキングな事件として世間を賑わし、テレビなどのメディアがこぞってこの話題を取り上げました。
このトレンドを追って、小遊三師匠が寄席のネタとして使用。落語といえば古典芸能と考える人多数だった昭和50年代に、死傷者が出た事件を落語のネタとして取り扱うのはかなりリスキーな気がしますが、結果は大ウケ。小遊三師匠といえば犯罪者ネタとなるほど高い評価を受けた模様。
その結果、2年後の1983年に笑点大喜利メンバー入りを果たした以降も、悪人小遊三が定着し、今に至る結果に。


…正直犯人とは似てませんよね?小遊三師匠

で、深川通り魔事件をネタに使ったのは大正解だったわけですが、実際犯人とは顔がどれくらい似てるのか?気になったのでそっちも調べてみました。
事件で現行犯逮捕された犯人、川俣軍司の逮捕当時の画像がこちら。
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上の画像は事件と同じ年の小遊三師匠。(公文出版発行の季刊「落語」第10号より)
当時の寄席の席で川俣軍司に似ていることから「犯人は私です」と言ったオチを多用していたようです。似てなくもないですけど、似てますかねコレ?髪型くらいしか類似点が見当たりませんwあ、目つきは悪いな確かに。
この顔の一致度でネタとして使う度胸や技術こそが小遊三師匠の腕、と言えるのかもしれません。いや、きっとそうだ。そういうことにしときましょう。

まとめ

まとめると、笑点大喜利で、小遊三師匠が泥棒とか前科者とか悪人呼ばわりされるのは、実は過去の悪人ネタが高く評価されているからに他ならないためと言えそうです。言い換えると大喜利で盗人、楽屋ドロボー、前科者等々小遊三師匠に浴びせられる罵詈雑言は実は賛美の言葉なわけです。ということでドンドン悪人呼ばわりしましょうw